会員だより~徒然なるままに近況報告~
三月に再雇用の定年退職し、永六輔さんの「これからは楽しいことしかしません。」を思い出しました。ところが、「楽しい」ことが、即答できません。そんな中、書籍で、何十年と掃除し続けて会社や学校、地域が変わった話を知りました。ひたすらトイレ掃除することで広島から暴走族が消え、若者が正業に就いたなど、ただ事ではありません。また、掃除されている方々がいい顔されていました。
「たばこの吸い殻一つでも、拾えばそこを通る、仮に百人が気持ち良く通れる。」ということから、吸い殻を拾うことから始めました。最初は「当てつけにならないか。」とか「認めて欲しい」など複雑な思いがありました。けれども、掃除のあとは必ず心が洗われています。バス停には吸い殻や空缶、プラ容器、そして敷石の溝の雑草があります。なかでも雑草の「ちがや」は硬い土に張った地下茎を引き抜く必要があります。引いた雑草は堆肥とし自然に帰してやります。また、吸い殻や空缶は、リサイクル分別しゴミに出します。こうしていると自然の循環の中で生活していることを実感します。
地域のバス停を掃除していることでいろいろと気づかされます。「楽しみ」の一つが見つかったかな。
近藤 利春(E51)
拍手、パチパチパチ!
神田様ありがとうございます。大リーグの大谷選手は「なんでゴミを拾うのか…」と聞かれると「人が捨てた幸運を拾っている」と答えています。まあぼちぼちです。
バス停を掃除する、おもしろい。
私には出来ませんが、そんな事をする、という発想がおもしろい。それを「楽しみ」にするなんて、考えもしないです。
しかし、おもしろいので、一度おって見たい、と考えます。
清水さま、ありがとうございます。自分にとってコペルニクス的転回です。以前は、例えば通販などは少しでも安くと損得を考えがちでした。ところが、たまたま「羽田街道おもてなし清掃」に参加し、温かい人達と一緒に掃除して「益はなくとも意味はある」ことに気づきました。バス停そばに小学校や公民館があり、いろんな人が通ります。たまにおばちゃんが声をかけてくれたりします。どうもクセになった様です。