M33 終活の「探究会」
令和6年10月23日、東西の中間・名古屋駅上のマリオットアソシアホテルで、コロナ禍も収束し6年ぶりで、対面での終活「探究会」を開催した。ホテルの18Fで食事し、52Fで談笑と眺望を楽しんだ。
機械工学科第6回(M33・1958年)卒業生は90歳を迎えようとしているが、総員41名の内、物故者20、住所不明4、今回の参加者は本人及び家族の都合で4名であった。
M33卒は、三代学長・福島政治教授の揮毫「真理の探究」にあやかり、クラス会を「探究会」と称し、卒後66年の長きにわたり社会とかかわってきた。
工専から昇格した新制大学の6回生では、先輩の数が少なく社会的評価が未知の中で、各人がそれ相当の努力をしてきた。
社会人生活では、戦後のインフラ整備、社会資本の整備に貢献し、技術開発、環境整備などに努力したことを自負している。
入社当時は、トレーシングペーパーに手書きの青焼き図面で、青焼き図面の汚れで、1桁違いの製品ができた失敗談もあった。
OA機器はなく、一般文書は手書き、公文書はタイピストが分かりにくい原稿をタイプしていた。年代的には、前回の大阪万博(1970)頃は、海外との連絡も航空便、テレタイプ、国際電話といった状況であったと記憶している。現在とは隔世の感がある。
4名の懇談の話題は以下のようであった。
- 健康に関する話題が主で、既往症の状況、克服した経験談や留意していること
- 学生生活での体験・経験が実社会で即役立ったのは、演習講義、卒業計画の設計製図で、製図室でワイワイ言いながら手書き図面を作成したこと、および卒研で研究の過程を大事にしたこと
- 恩師の吉原英夫教授が会社訪問された時、トップとの懇談の席に同席したこと
- 見学旅行の延長で北陸を巡った時、旅館の火災に遭遇し、家財道具を土蔵に運び、水桶を入れ、入り口を味噌で目張りをすることを指示・手伝い、土蔵は難をのがれたこと。無理なスケジュールで、地方の駅舎で夜を明かしたこと
- 心に残る言葉では「T定規のように広い一般常識と、深い専門性を磨くこと」、「真理の探究」
- 外見的には元気に見えても、内面は年相応であるので無理しないこと
- パソコンのおかげで、高齢者でも図面や書類が作成でき、いろいろの情報が得られ、ひまつぶしにこと欠かないこと
- 社会参加し、生きることは歩くことを実践して健康寿命を延ばそう
- 頭の体操には「数独」がよさそう 等
M33 吉川
左から 後藤公司、大原健三、井上隆雄、吉川忠男