歴代卒業記念品(平成31年3月)
・平成30年度卒業記念品の情報を追記しました。(2019.3.29)
・平成29年度卒業記念品の情報を追記しました。(2018.4.28)
・昭和29年3月卒業(1954年第2回卒業)記念品、姫路城の入った銅製のベルトバックル、ついに発見!(2017.7.10)そして、
1)新しいバックルにいつ切り替わったか?第5回、6回、7回の卒業のいずれかです。
2)第1回卒業記念品、恐らく、第2回と同じと思いますが、・・・。
*皆様、情報(写真等)ありましたら、ぜひ、ご提供下さい!
年代 | 卒業記念品 |
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現在~平成27年4月 | ・平成最後の卒業生344人(平成31年3月卒業、第66回)も、生協の協力で、なんとか、同じ名刺入れを贈呈することができました。今回は、部報30号の同梱に加え、学務課の協力で、各支部紹介チラシと学友会10周年のあゆみも入れていただきました。(2019.3.29) ・平成30年3月卒業(第65回)も、昨年と同じ名刺入れを部報29号と姫路工業倶楽部紹介チラシ(HITメルマガ、Facebookでの会員グループ参加そして住所やメルアド変更時の連絡のお願いなどを記載)と一緒に贈呈しました。(2018.4.28) ・平成29年3月卒業(第64回)、空押しによる姫路工業倶楽部のロゴも入れました。ただ、前年の名刺入れは終売となり、少し革の質感が違う後継品に切り替わりました。(2017.4.5) ・平成28年(2016年)で第63回となりました。学位記授与式後の卒業記念品の贈呈に関し、理事長のお祝いの言葉が入った姫路工業倶楽部紹介チラシに加え、部報27号を初めて同封しました(2016.3.22)。 名刺入れ(空押しによる姫路工業倶楽部のロゴ追加) |
平成27年3月~
平成21年4月 |
・姫路工業倶楽部の紹介チラシを同封しました(2015.3.24) 名刺入れ |
平成21年3月~
昭和52年4月 |
名前入り印鑑と朱肉付ケース |
昭和52年3月~
昭和47年4月 |
名刺入れ(田中俊則氏(E48)からの情報です) ・筆者(E49)も学生時代の勉強机から未使用のまま、40年の時を経て同じものが出てきました!ただ、刻印は姫路工業大学ではなく姫路工業倶楽部に変わりました。 ・東日本支部 幹事長 森島文夫氏が、S51も白い名刺入れだったよと7/11企画委員会席上で。 *姫路は「姫革細工(牛革を白くなめした革)」の特産地だそうです。 |
S47/3~S46/4 | ・昭和47年年3月卒業生は、大学紛争もあり、卒業記念品の贈呈は無かったのではないか。複数の回答より。 |
昭和46年3月~
昭和42年4月 |
・第19回卒業記念(1971)の灰皿情報を松倉 豊継氏(F46)から提供頂きました。 ・断捨離(*1)で身の回りを整理中、段ボール箱に保管されているのを見つけました。 卒業式典が学生運動の余波でなくなり、学科毎に教室で主任教授から卒業証書を手渡されました。その時にもらった記念品と思います。応接セットに置くような灰皿で、煙草を吸っていた時期にも使わず、大切に保管し、いつの間にか忘れていました。この度、断捨離で身の回りを整理中見つかり、当時を思い出し懐かしく思いました。あれから40数年を経ていますので、色合いも何だか重厚感を漂わせています。 *1:断捨離(だんしゃり)とは、不要なモノなどの数を減らし、生活や人生に調和をもたらそうとする生活術や処世術のこと。 *2:灰皿に刻まれた日々(是)好日(にちにちこれこうじつ)という文字は、禅語です。 毎日がよい日である、という意味ですが、これにはとても深い意味が含まれています。 「その日その日が最上であり、最高であり、かけがえのない一日であって、 日々の、苦しみ、悲しみ、喜び、楽しみなど、こういった良い悪いに対する執着がなくなり、今日を素直に受けとめ、自然の中で生きているということを感じ、1日を意のままに使いこなす、すごせる、というところに 真実の生き方がある。」 ・第18回卒業記念(1970)の灰皿情報を藤北正二氏(M45)から提供頂きました。 学生運動の影響で卒業研究の準備が終わりデーターを取り始めた頃に登校禁止になり卒論も適当に書いたように思います。提出した時に、論文の体を成していないと言われました。それでもお情けで卒業しました。 当然卒業式はなく卒業証書は実家に郵送されていました。多分記念品もその時に送られた物と思います。40年以上愛用しています。お陰で肺気腫のお墨付きを貰っています。 ・第17回卒業記念(1969)も第18回と同じ灰皿情報であると佐々博政氏(M44)より頂きました。調査にご尽力いただきました平川修氏(E44)、山川強氏(E44)に感謝いたします。 ・第16回卒業記念(1968)も灰皿であるとの情報をS43の皆様の調査で判明しました。 昭和43年(1968年)卒業記念品が出て来ました。所有者・写真提供は、山田健太郎氏です。(2016.5.14) S43年卒業のみが残っていることが公式プログに掲載され気になっていました。ご披露頂きたくお願いします。(白鷺39・43S会幹事 清遠 忠氏) |
昭和42年3月~
昭和34年4月 |
・第15回卒業記念 1967 のバックルです。なんと机上の小物入れ缶の中にありました。ほとんど使用せず、保存されていました。(国村 勝氏) ・第14回卒業記念 1966年のバックル、前事務局長 神田晋治氏の提供品です。書写紀念会館内にある姫路工業倶楽部室で保管中です。『卒業時にもらったものです。』、 ・第9回卒業記念 1961 のバックルを提供頂きました。(平岡 重道氏) *第8回は「卆業」、第9回は「卒業」の文字に変わりました。 ・第8回卒業記念 1960 のバックルを提供頂きました。書写紀念会館内にある姫路工業倶楽部室で保管します。 私の卒研指導教官が「京大」の文字入りのものを着用しておられるのを見かけたことがあります。良い趣味には私には思えませんでした。「姫路工大」ならどうでしょうか?(明瀬 利秋氏) |
昭和31年3月~
昭和28年4月 |
・第4回卒業記念 姫路城の入った銅製のベルトバックル 心当たりを探しておりましたが、見つかりません。記念品は、姫路城の入った銅製のベルトバックルであったと思います。当時、バックルが若者に重宝され、手製のものを付けている人もおりました。しかし、卒業後の背広には大きすぎ、着用しませんでした。見つかれば、お送りいたします。(濱端 進氏) ・1954年 第2回卒業記念 銅製バックル発見 事務局がC29回顧録集に掲載された写真が卒業記念品のバックルではないかと思い、メール確認し発見に繋がりました。 「C29回顧録集に記載の絵は、卒業記念品に貰ったものの表写真です。裏面には1954第2回卒業記念 姫路工業大学の文字が記されています。 小生、現物を所持していますが,同窓生も生存者が少なくなりつつあり、貴工業倶楽部の証拠品として活用いただきたく、寄贈したいと思いますので、送付します。お役に立てば幸いです。」 告野 牟氏(C29) 送って頂いたバックルは油紙に包まれ小箱に収められていた由。当時の東明徽章という会社は、現在も東明徽章工芸株式会社として活動されています。手作りによる伝統の底力でしょうか。(事務局) |
昭和40年4月~
昭和36年3月 |
・ベルトのバックル1 卒業記念品ではありませんでした。前事務局長 神田晋治氏の提供品です。現在、書写紀念会館内にある姫路工業倶楽部室で保管中です。 『入学時に購買部で購入したものです。伊伝居での購買部は食堂の片隅で、大学のマーク入りのノートなどを売っていました。』また、平岡重道氏からも頂きました。 |
小生1973年(昭和48年)3月卒業時は名刺入れを戴きました。
写真を別途メールにて送付致します。
姫革細工の名刺入れ拝見しました。やはり姫革はいいですね。ところで刻印を見ますと「姫路工業大学」となっていますね。大学の後援会からの贈呈かもしれません。そうなると記念グッズの探索の範囲を後援会まで広げるといろいろ出てきそうですね。
昭和40年に卒業した折、角形のバックルをいただいた。卒業後数十年してそれを使おうと思いたち、それに合うベルトを探したが、そのように幅の狭いベルトは見つからず、残念に思った。ずっと机の引き出しの奥に入ったままです。使えるものなら、今からでも使いたいと思っています。