C32 卒業60周年 

 昭和35(オリンピック)年、この年にクラス全員集まろうという発案で「つもろう会」と銘打って会を発足させ、オリンピック年毎に開催してきた。しかし、13回目からさらに親睦を深めようと1泊2日で2年毎の開催とした。今回19回目で最終の幕を閉じる。
 我々5回生は戦後の混乱期の昭和28年に入学し、磨り減ってデコボコした板張り廊下を歩けば、ガタビシと音がする旧姫路師範学舎で一般教育を、その後モダンな鉄筋コンクリート3階建応用化学科本館で専門課程を学んだ。
 我々クラスは、旧制中学出身の先輩のような武勇伝はなく、新制中学から高校に入学した、JIS規格標準並みの、おとなしい学生ばかりであった。講義では聞き洩らすまいと必死でノートを取り、ノート不足の者は他の者のノートを借りて書き写したものであった。代表者がノートを取り、そのコピーを希望者に配るという事実もある現代学生とは質的に隔世の感がある。
 卒業時在籍29名の中、12名が鬼籍に入り残り17名のうち参加者は東京からの1名を含めて計6名であった。 今回は有馬温泉「有馬グランドホテル」で開催した。まず、金泉・銀泉の温泉に入浴した後、開会し、物故者への黙祷、欠席者の近況報告等の後、宴会に移り、話は専ら学生時代の回顧談に花が咲いた。経済的な理由で近場の大学に入学せざるを得なかったとか、就職確定先の日給が35円で驚き、教授に再就職試験を申出たが断られたとか、就職試験先を間違えてフイにしたとかなど、現在では底考えられない当時の家庭の経済事情や求職世話担当教官の苦労事情を反映した世相の一端を回顧・垣間見ることができ、さらには、卒業直後同僚の企業と共同で研究開発した表面硬化の基本技術が改良されて最新の新幹線先頭車両フロント窓ガラスに応用されていること等々に昔日の学生時代や就職初期の出来事を走馬灯のように脳裏に思い浮かべることができたのは、同窓会の余禄というべきものであろうか。
 さらに、部屋を変えて2次会を開いた。ここでは子供、孫等のプライベートな話や政治・経済等にも話が及び、夜半2時半頃まで飲みながら心行くまで歓談した。
 こうして、学生時代を懐古し、現在を語り、行く末に思いを走らせて語り合って「つもろう会」は有終の美を飾った。そして、翌朝、入浴・朝食後、玄関前で記念撮影(割愛)した後、名残惜しみながら散会した。  松浦 茂男(C32)
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【卒業60周年・第19回最終つもろう会
(姫路工業大学応用化学科・昭和32年卒) 
 平成29年5月17日 於 神戸 有馬グランドホテル】